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恥ずかしながら半生を綴ってみる Part1

今までの人生を振り返ると良いこともあれば嫌なこともありました。

幼稚園時代

地域の私立幼稚園に入園。

家族と離れることに慣れるまでかなり時間が掛かったらしく、手のかかる子だったと思います。

急に泣き出したり帰りたがったりと、感情の起伏はこの時から激しかったみたいです。

戦隊シリーズが好きだったらしく、よくごっこ遊びをして楽しむことが多かったです。

いつの間にかついたあだ名が「カッコつけマン」

おそらく馬鹿にされていたのだとは思います。

でも当時は全く気にしてなくカッコつけ癖が治ることはなかったと記憶しています。

この幼稚園ではお弁当を持参する必要があったのですが、食育の方針なのか絶対に食べ残しを許してはくれませんでした。

他の園児が休み時間に遊んでる最中、ほぼ毎日泣きながら嫌いな食べ物と格闘していました。

それを見かねた先生が「もう親にこの食べ物は嫌いだから入れないでってお願いしてみようよ」と言われるまで弁当地獄は続きました。(後に野菜全部が嫌いということがわかりそれはそれで苦労しました)

今思い返してみると、この頃から発達障害という傾向がありますね。

ただ当時は発達障害という概念は浸透していませんでしたし、ちょっと変わった子で片付けられていたのだと思います。

小学生時代

地域の公立小学校に入学。

土地柄もあり、上記の通っていた幼稚園から上がる児童が多く友達作りにはそれほど困りませんでした。

この頃になってくると露骨ないじめを受けます。

とはいえ小学生のやることなのでまだ我慢はできました。

ただ1つ納得が行かないことがありました。

私をいじめていたある児童がいたのですが、この児童はいわゆる嫌われ者で私より周りに嫌われていたと思います。

その児童がある日親同伴で教師に「うちの子供はいじめを受けている」と殴り込んできたそうです。

それを聞いた私は「むしろその児童にいじめられている」と言いたかったのですが・・・

いじめをする方は案外自覚を持っていないみたいですね。

小学校に上がって一番苦痛だったのが給食の時間。

普通の人からすれば「えっ!?」と思われるかもしれません。

でも私は好き嫌いが多く、食べるのも遅いため周りからかなりひんしゅくを買っていたと思います。

給食の時間はさながら裁判を受けている容疑者のような気分でした。

一方で勉強はかなりできていました。

特に算数が得意で算数のテストでは80点以下をとったことがなかったと自負しています。

ただ当時から国語が苦手で(とは言っても60点以下はとってなかったと思う)特に漢字の書き取りができなかったようです。

当時から不思議に思っていたのですが、漢字は複雑になればなるほど一目で書き写すのが難しいんですよね。

例えばの話ですが「親」という漢字を初めて見て、すぐに書き写すことができなかったんです。

漢字のパーツを見て、それを1つずつ写していくという書き方しかできなかったと記憶しています。

端的に言えば「親」という字は「立」「木」「見」という字で成り立っていますよね。

それを書き写す時に「親」と1度には書けず、「立」を書いてからもう1度お手本を見て、「木」という字を下に書いてからまたお手本を見て、横に「見」と書く。

漢字はどうやってもこの書き方と覚え方しかできませんでした。

今でも漢字は苦手で読めるけど書けない字がかなりたくさんあります。

通知表の成績は3か4が多かったです。

特に目立つようなことはしてませんでした。

ただ勉強が少しできるくらいの、変わった子で片付けられていたのだと思います。

勉強ができたのは小学校中学年の時から学習塾に通わされていたのが要因かもしれません。

特に算数が得意になれたのは学習塾のおかげです。

他にも水泳クラブやペン習字にも通っていた時期がありましたが、こちらはあまり長続きしませんでした。

Part2に続く

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